父親が見守る中 クレメンスがフェンウェイ・ロケットを打ち上げて勝利に貢献


ボストン発 ーー フェンウェイ・パークでは「クレメンス」という名前はおなじみです。

ロジャー・クレメンスはこの球場で20奪三振という歴史的な試合を演じ、1986年のレッドソックスのワールドシリーズ進出をけん引しました。彼はボストンでのキャリアで192勝、防御率3.06、2,590奪三振という輝かしい成績を残しています。

また、ヤンキース所属時の1999年と2003年のア・リーグ優勝決定シリーズでもフェンウェイで注目の先発を務めました。1999年にはペドロ・マルティネスに投げ勝たれ、2003年には因縁のレッドソックスvsヤンキースの中で乱闘も起こる激戦の中、勝利に貢献しました。

その伝説の炎の投手は、野球の才能を息子たちに引き継ぎました。現在ツインズに所属する内野手コディ・クレメンスもそのひとりです。現役のクレメンスが、父が名を上げたフェンウェイ・パークで初めて先発出場し、その舞台に立ちました。

土曜の午後、父ロジャーが何度も脚光を浴びたこの球場で、コディはバットで主役となりました。6回、レッドソックス先発ハンター・ドビンズから放った2ラン本塁打で1-1の同点を破り、ツインズの4-3勝利を決定づけました。この本塁打は彼にとってミネソタ移籍後初の一発であり、チームの4連敗を止める決定打となりました。


コディ・クレメンスは以前、タイガース在籍時にフェンウェイ・パークを訪れたことがありましたが、そのシリーズでは出場機会がありませんでした。父のロジャー・クレメンスは、金曜夜のNESN中継で冗談交じりに「A.J.ヒンチ(タイガース監督)には、なんで息子を使わなかったんだって文句を言ってやったよ」と語っていました。

一方、ツインズのロッコ・バルデッリ監督は、土曜日の試合でクレメンスをスタメンに起用し、その決断はすぐに実を結びました。


「チームにとっても大きなホームランだったけど、あれは特別な瞬間だったね」とバルデッリ監督は語った。「彼の家族がみんなここに来ていて、フェンウェイ・パークでの試合。もちろん、彼のお父さんがこの場所とファンに残した歴史は計り知れない。たとえこの先15年プレーするとしても、あの瞬間は絶対に忘れられない出来事になるだろうし、私にとっても忘れられないよ。」

試合後、クレメンスはこう語った。「家族との絆やいろんな背景を含めて、間違いなく特別な瞬間だったよ。いい球が来て、それをうまく打てた。本当にクールだった。特別な思い出になったよ。」


ここ数年、フェンウェイ・パークでは同様の感動的な物語が繰り返されてきた。サンフランシスコ・ジャイアンツの外野手マイク・ヤストレムスキーは、1967年ア・リーグMVPでレッドソックスの伝説的存在であるカール・ヤストレムスキーの孫。彼は2019年と2024年のシーズンに祖父との訪問後、ボストンで本塁打を放っている。

そして今回、クレメンスは、ヤストレムスキーの引退翌年にMLBデビューした父ロジャー・クレメンスの足跡を追い、ボストンで新たな世代としての存在感を刻んだのである。


28歳のクレメンスは、ツインズとしての今回の訪問でフェンウェイ・パークの魅力を存分に味わい、金曜日の午後にはグリーンモンスターの内壁に自らのサインを刻んだ。

クレメンスはこのシリーズの第2戦で今季5試合目の出場となった。父ロジャーは、4月26日にフィリーズからツインズにトレードされた息子が今まさに成長段階にあり、これから順応していくことを期待している。第6回での本塁打と、第8回のあと少しでスタンドインとなる383フィートの大飛球は、その前進を示すものだった。

「彼は素晴らしいスプリングトレーニングを2回経験したけど、フィラデルフィアでは少しつまずいた」とロジャー・クレメンスは金曜に語った。「このリーグのパワーピッチャーたちはみんな体が大きい。慣れるまでにもう少し打席が必要だろう。でも、彼にはその力がある。」

2022年にメジャーデビューしてから数年、ついに訪れたフェンウェイでの初出場で、父が見守る中、大きな一振りで試合の流れを変えた。

「父にとってもこの球場は特別なんです」とクレメンスは語った。「彼のキャリアが始まった場所であり、三振記録を塗り替えたこの球場で、キャリアの流れが変わったと本人も言っていました。本当に特別な場所なんです。」

引用元:mlb.com

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