東京発 — 佐々木朗希が待望の決断を下し、ドジャースとの契約を交わした頃、ロサンゼルスは悲しみと混乱の中にありました。
1月、ロサンゼルス周辺では連続的な山火事が発生し、数万人が避難を余儀なくされ、アメリカ史上最も費用のかかった自然災害のひとつとして記録されました。佐々木が正式に契約を結んだ頃には、消防士たちの懸命な努力により鎮火の目処が立ち始めていましたが、佐々木はドジャース入団の記者会見において、この災害についてしっかりと言及しました。
「私自身も自然災害による苦しい経験をしてきたので、目標を見失わず、前を向き続けることの大切さを学びました。今、ロサンゼルスは困難な時期を迎えていますが、本日からドジャースの一員として、街の皆さまとともに前を向き、全力を尽くす覚悟です」と、通訳のウィル・アイアトン氏を通じて語りました。
佐々木が9歳だった2011年3月11日、彼の故郷である岩手県陸前高田市は、東日本大震災による津波に襲われ、壊滅的な被害を受けました。この震災は日本観測史上最大の地震として記録され、地域の多くの人々がすべてを失いました。
佐々木もそのひとりであり、彼は津波で父親と祖父母を亡くし、家も流されました。1年後、家族は大船渡市に移住し、佐々木は野球への情熱を心の支えとして、人生を歩み続けました。
そして今、カブスとの開幕戦「東京シリーズ」のため日本に戻ってきた佐々木の帰郷には、より深い意味が宿っています。彼は、世界的に注目を集める若き逸材として、メジャーリーグで最高の投手のひとりになる可能性を秘めています。
しかし、陸前高田の人々にとって佐々木朗希は、単なる日本プロ野球からメジャーへ渡った有望選手ではありません。彼は、14年前の震災を乗り越えた日本の「希望の象徴」なのです。
現在、陸前高田市役所に勤める村上智之さんは、かつて佐々木が少年時代に所属していた野球チームでコーチを務めており、佐々木が毎日努力し、投手としての夢に向かっていた姿をよく知っています。その後、佐々木が震災を乗り越え、高校、NPB、そして今やMLBという舞台でスターへと成長していく様子を、村上さんは遠くから見守り続けてきました。
令和の怪物と呼ばれるはるか以前から佐々木朗希を知る村上さんにとって、彼に与える称号は別のものでした――「陸前高田のヒーロー」です。
中華料理店「ドラゴン厨房 紫海楼(しはいろう)」の店主である長田雅洋さんもまた、佐々木家の長年の友人です。佐々木が陸前高田に戻る際によく訪れるこの店の長田さんも、佐々木が東日本大震災で多くを失いながらも、それに屈せず野球界屈指の才能へと成長した姿に大きな励ましを感じています。
「津波の後も、(喪失から成功へと至る)夢を陸前高田の人々に見せ続けてくれている」と長田さん。「だからこそ、応援したいんです」と語りました。
長田さんが特に誇りに感じた佐々木のNPBでの偉業のひとつとして、2022年4月10日の試合を挙げました。この日、当時20歳の佐々木はオリックス・バファローズ戦で驚異の19奪三振を記録し、完全試合を達成したのです。
ちょうど1年後、佐々木朗希はチェコ代表とのワールド・ベースボール・クラシック(WBC)デビュー戦で100マイル(約161キロ)超の速球を披露し、国際的な注目を集めました。それは偶然にも、東日本大震災から12年目の節目――2023年3月11日のことでした。
「うまく言葉にできませんが、まるで彼は野球ボールではなく、“魂”を投げているように感じました」と、当時の侍ジャパン監督・栗山英樹氏はその日語りました。
そして、今週水曜日――東京シリーズ第2戦で佐々木はメジャーデビューを迎えます。相手はカブス。陸前高田の人々は、再び大きな期待とともに、誇りを胸に彼の晴れ舞台を見守ることでしょう。地元のショッピングセンターでは、パブリックビューイングも予定されています。村上さんは現地には行けませんが、佐々木が野球人生の次の一歩を踏み出す瞬間を、しっかりと見届けるつもりです。
震災から10年以上が経ち、陸前高田もまた、前へと歩みを進めています。
「朗希の存在は、私たちに希望を与えてくれます」と村上さん。「プロ野球選手としての努力と成功が、陸前高田に勇気と感動を届けてくれるのです。」
ソニア・チェン:MLB.comドジャース担当
引用元:mlb.com