ユッカーの最も記憶に残るポップカルチャーの瞬間

ボブ・ユッカー MLB

野球界には多くの個性的な人物がいますが、「笑いの貢献度(LAR:Laughs Above Replacement)」で史上最高の存在といえば、比類なきボブ・ユッカーでしょう。

深夜番組の王、ジョニー・カーソンから「ミスター・ベースボール」の愛称を授けられたユッカーは、その機知やおどけた振る舞い、そして自虐的なユーモアを球場や試合中継にとどめることはありませんでした。彼のIMDBページには18本の俳優としての出演歴が記載されており、そのすべてが50歳を過ぎてからのものです。


では、彼の野球界以外での代表的な文化的瞬間を振り返ってみましょう。

「ザ・トゥナイト・ショー」

ユッカーはジョニー・カーソンのデスクの隣に何度も座り、少なくとも1971年まで遡って出演していました。この年、彼はブルワーズのフロントオフィスでスカウトを務めていた立場から、チームのラジオ放送のブースへと転身しています。ある11分間の出演では、ユッカーは一度も笑顔を見せず、終始無表情で話し続けますが、その独特の語り口によってカーソンやスタジオの観客を爆笑の渦に巻き込んでいました。

ミラーライトのCM」

上層デッキの階段をのろのろと上がるときも、通路を跳ねるようにフィールドへ向かうときも、ユッカーの最も有名なセリフのひとつを口にしたことがある人は多いのではないでしょうか?

1984年の伝説的なCMで、彼は期待に満ちた声でこう言いました。

「きっと最前列だろうなぁ~!」

その1年前のCMでは、元キャッチャーのユッカーがバーのシーンに登場しました。彼は「自分は元野球選手だ」と話し、同じくバーにいた客(なんと若き日のジョン・グッドマンが演じていました!)にビールをおごらせます。ただし、その際に自分がボブ・ユッカーであるとは名乗りませんでした。

サタデー・ナイト・ライブ

1984年、ユッカーは『SNL』第10シーズンの第2回放送でホストを務めました。

彼のモノローグでは、1964年のカージナルスのワールドシリーズ優勝20周年を祝うためにセントルイスへ戻った話を披露しました。
「タクシーを降りると、セントルイスの球場の外に俺の銅像が立ってたんだ」とユッカー。「ちょっとおかしなことになってたよ。俺は右打ちなのに、銅像は左打ちになってた。でも、ユニフォームとか他の部分は全部合ってたな。そして台座にはでかい文字で誰かの名前が…『スタン・ザ・マン』って書いてあった。きっと彼が作ったんだな。素晴らしい出来だったよ。」

また、スケッチのひとつでは、ユッカーがリトルリーグの監督を演じ、息子役のビリー・クリスタルに「お前は戦力外だ」と告げるシーンが描かれました。

ミスター・ベルヴェデーレ

このABCのシリーズは1985年から1990年まで6シーズン、全117話が放送されました。ユッカーはジョージ・オーエンズを演じ、スポーツライターからスポーツキャスターへ転身した3人の子を持つ父親で、ピッツバーグ郊外に暮らす一家の主。イギリス人執事との衝突が見どころのひとつでした。

Who’s the Boss

1986年、ユッカーはこのシリーズにカメオ出演しました。主演のトニー・ダンザは、元プロ野球選手でシングルファーザーという役柄。彼が離婚した広告会社の女性重役の家で住み込みの家政夫として働くというストーリーです。ユッカーがダンザの娘(アリッサ・ミラノが演じる)と会話するシーンは、彼の「フロントロウ!」で有名なミラーライトのCMを意識したものになっています。

メジャーリーグ

この3作からなる映画シリーズで、辛辣な放送席の名物アナウンサー、ハリー・ドイルを演じられるのはボブ・ユッカー以外にいないでしょう。実際、ユッカー自身がこのキャラクターを作り上げました。「すべてアドリブだった」と彼は語っています。「大まかな指示だけ渡されて、『このキャラになりきってくれ』と言われたんだ。あとは好きにやらせてもらったよ。」

2003年 フォード・C・フリック賞 受賞スピーチ

これはユッカーの野球人生と放送キャリアに関連するため、ポップカルチャーの名場面リストに入れるのは少し強引かもしれません。しかし、この18分間のスピーチは、まるでスタンドアップコメディのような内容で、ゲイリー・カーター、エディ・マレー、ヨギ・ベラといった殿堂入り選手たちを爆笑させました。イニング間の休憩時間よりも短い時間で、あなたもきっと笑ってしまうはずです。


ダン・シチャルスキー:MLB.comコンテンツ運営部門シニアマネージャー
引用元:mlb.com

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